C&Kの出会いから現在までの経歴をまとめているページです
2022年12月現在、執筆途中の記事です。
2003年
2001年 文教大学湘南校舎にKEENが入学。そして、2年後の2003年 同大学にCLIEVYが入学しました
入学当初、CLIEVYさんはアラブにはまっていて、つま先がとんがっている靴や、虹色のセーター、ニット帽をかぶり、前髪をひと房だけ長くしているような個性的な格好をしていました。
それをみたKEENさんが「面白い奴がいるからサークルに誘おう」と声をかけたのが2人の出会いでした

所属したサークルの名前は「浪花×MINT(MINT)」。音楽サークルではなくなぜかテニスサークルだっでした。しかし、テニスは一度もしたことはないようでした
カラオケで音楽の話をした2人は、意気投合し仲が深まったそうです。
また、CLIEVYさんの歌声を聴いたKEENさんは、「人は見た目で判断できないなと思った」と語っていました
最初は先輩後輩の仲で、
KEENさんブログより抜粋
毎日のように2人で遊んではカラオケに行って、
朝までフリータイムで歌い明かした
2004年
2004年。CLIEVYさん(当時18歳)が「友人のイベントで一緒に歌おうよ」とKEENさん(当時21歳)を誘いました。
わたしの家の近くだった「藤沢朝日町パラダイス」にて初ライブを行い、それが大盛況!調子に乗って、その後は茅ヶ崎、藤沢を拠点に活動をしていました(本人談)
KEENさんはこの歳22歳になり、なんと空手の世界大会で優勝!世界チャンピオンになりました。そして並行して就職活動をしていました。
空手一家だったKEENさんは、将来自分が音楽活動をすると思っていなかったのですが、ある日突然母親から「あんた、ホントは歌いたいんでしょ?」と連絡があり、その言葉から本気で音楽をやろうと決心したそうです
“その代わり25歳までに目が出なかったら音楽はきっぱり諦める”とこの時ご両親と約束したそうですよ
“たった一人の男の子の孫”ということで、鹿児島に帰ってくるのを楽しみしてくれていたお祖父さんを説得するために長い手紙をたくさん送って説得したとのエピソードもありました。頑張り屋のKEENさんらしいですね
2005年
歌っても、知り合いばかりいるイベントしか盛り上がらず、自分たちに力がないと気がつき嫌になりなんとなく解散した2人(自然消滅)
そしてしばらくCLIEVYさんは渋谷、新宿、六本木を片道200円のバスで活動。KEENさんは町田、横浜などでRBシンガーと活動し、この年の冬、リッター2キロのベンツを購入。それぞれ別々の生活を送っていました
2006年
横浜のクラブで歌っていたKEEN(当時23歳)が、すき家でバイトしていたCLIEVY(当時22歳)を何気なく誘ったことから、C&Kを再結成することになりました。(正確にいうと2005年11月頃のようです)
THE BRIDGE YOKOHAMA
C&Kが再結成した場所は、横浜元町にあるクラブ「THE BRIDGE YOKOHAMA / ザ ブリッジ ヨコハマ」

当時は第4金曜日に「HAPPY MANIA」というレギュラーイベントがあり、C&Kはレギュラーで歌っていました。小林さんにはご飯をご馳走してもらったり、とてもお世話になったと聞きました。
多くの出会い
またこの年(2006年)には、T樹(元マネージャー)、九州男、丸野さん(現エンズエンタテイメント社長)などC&Kがこれから深く関わっていく人たちと出会いました。
そして九州男とともに楽曲制作を開始するのです
今まさにデビューしようとしてる九州男を目の前にして、
KEENさんのブログより
プロになるっていいなぁって少し思ったのを覚えている

のちに世に出る九州男さんとの1/6000000000という楽曲は、この時点では「60億分の1」という表記で歌っていました。
俺最近めちゃめちゃStoicな人間になってる…
2006年9月27日KEENさんの日記より
一週間の平均睡眠時間は3時間くらい…
でもバイトは遅刻全然遅刻しなくなって
なんか大人になった今日このごろ
60億分の1っつ曲も大詰めで、
みなさんの胸を打つ歌が完成しそうだよ
そして、徐々に九州男と一緒にライブに出演することが多くなりました
CRIB
C&KはHAPPY MANIAのほか、元町(石川町)にあるCRIBという小さなクラブ(バー)でDAISEIKAIというイベントにもレギュラーで出演していました

当時CLIEVYさんはCRIBについて、「アットホームな感じで気持ちがいいイベント☆文教生はもちろんのこと皆楽しい人が集まってくるからみんなよってらしゃ♪」と言っていました


CRIBは、九州男さんと3人で初めてライブをした場所だと「MICHI with九州男」のMVで言っていました。

CRIBの小野さんと都さんはとっても話し上手のいい人です。
何より、CRIBに行くと2006年頃のC&Kはこうだったんだなと浸れます。聖地です(大げさ)。是非、CRIBにいってみて下さい
歌っている時が幸せ
また、文教大学の文化祭でライブをしたこともありました(内庭で)
いっぱいの人の前で歌うのがたのしみですわ
2006年9月22日CLIEVYさんの日記より
やはり歌ってるときは幸せ
さらに気持ち良く自分がなれる曲をつくりたいよ
だれかつくって
この時からライブや音楽を好きという気持ちが伝わってきて、なんか感動しますね
全然お金もなかった、
KEENさんのブログより抜粋
ライブも小さいとこでしかやったことなかった。
でも横浜で出会った全ての仲間たちが、
僕らの音楽を育ててくれた。
いま、C&KのダンサーをしてくれているFUYUMIさんとはこの時代からのお付き合いなんでしょうね

「先輩達の前座で、お客さんが数人だったり、5分から10分くらいの時間をもらってライブをしていた時もあった」話していたことがありましたが、おそらく2007年前後のことだと思います
余談ですがこの年、KEENさんは愛車のベンツをスクラップに出すことになったそうです(理由はわかりません)
2007年
フライヤーには名前が載っていないけれども、1月に横浜BAYHALLで行われた「SAIKOH!!」に出演。
CLIEVYさんは当時カリスマだった窪塚洋介さんと一緒に出ることになり、とても興奮していました。

(以降、SAIKOH!!ではC&Kはトップバッター(前座含め)で歌うのが定番となっていたなぁ)
Metis Baddest Tour 2007
2007年、九州男と行動を共にしていたC&Kは、2007年3月16〜22日「Metis Baddest Tour 2007」(名古屋・大阪・広島・東京)に出演しました
このツアーで初めてHORITARO〜(のちに2年間現場マネージャーとなる)と出会いました
最近は、HORITAROさん(のような顔の)Tシャツも発売しましたね(w
HORITAROさんは、C&Kのことを「今では信じられないですが、大人しい、まじめというのがC&Kの第一印象。でも歌は上手かった(上目線)」と語っていました

このBaddest Tourは、貧乏ツアーだったので、小さな車にスシ詰めで移動していました
名古屋では、九州男の宿泊先ホテルにC&Kを含めた九州男チームみんなでこっそり一部屋に泊まろうとしてフロントに注意されたり、大阪のライブが終わったあとは、そのまま深夜に車で広島へ向かい、総勢17名くらいでサウナに泊まったりと色々と思い出深いツアーだったようです(大阪市内で車がガス欠寸前でドキドキしたらしいです)

意味ないことなどない。むしろ目の前のことを全力で楽しもうという学びがありました

あのときは泊まるホテルすら用意されておらず、満喫でクリビーと川の字で寝た悔しさを昨日の事のように思い出します(笑)
ちなみに、ホテルを手配しなかったのは何を隠そう…ホリタロウさんその人です
※ 2011年12月24日のAmeba Blogより抜粋
九州男デビューミニアルバムを発売する
ツアー終了後の2007年3月28日には「好きなように / C&K feat.九州男」が収録されたコンピアルバム「MASH UP」が発売されました

バイト、学校生活を送りながらクラブのレギュラーで歌う日々が続き、2007年6月、九州男がデビューミニアルバム「こいが俺ですばい」が発売。
よく3人で歌っていた「KEEP MY WAY feat. C&K」はこのアルバムに収録されています
9月にはKEENさんがボーカルとして加入していたバンド「The Cavemans」のミニアルバムが発売。「ボーカルの声がいい」など評判も上々でした
2008年
2008年1月25日よりAmeba Blogを開始。
最初は『珍しいことをしよう』という試みで「対談形式」で書いていました。今読み返すと、いろんな意味で面白いです
記念すべき最初の記事はこちらです
2月には九州男がメジャーデビュー。
デビュー曲は「1/6000000000 feat.C&K」でした
時代を感じますが、2018年6月4日よりGREE(当時流行っていたSNSサービス/現在は閲覧できない)のアカウントを開設し、主にクリビーさんがこまめに更新していました
「CK island」でCDデビュー
そして「C&K」として、2018年6月18日「CK island」でCDデビューを果たしました

参考 C&K、ミニ・アルバム『CK island』で6月18日にデビュー – TOWER RECORDS ONLINE
